大判例

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大津家庭裁判所 昭和33年(家)511号 審判

申立人 本田一太郎(仮名)

事件本人 本田つゆ(仮名)

主文

事件本人本田つゆの未成年者本田市夫に対する親権はこれを喪失せしめる。

理由

申立代理人は主文と同旨の審判を求め、その申立の原因として主張するところの要旨は次のとおりである。申立人は未成年者市夫(以下単に未成年者と称する)の祖父に当り、事件本人つゆ(以下単に事件本人と称する)は申立人の二男次夫と昭和二十七年二月○日に婚姻し、同年九月○○日に未成年者が出生し、昭和三十年五月○日右次夫の死亡により以後事件本人が未成年者に対する単独親権者となつているものである。事件本人は家畜商を営なむ中村久三とその妻きい間の三女として生まれ元来物欲旺盛な性格であつたが右次夫との婚姻後も夫ならびに未成年者に対する愛情に欠け、実父久三が昭和二十七年八月に死亡した後、実家に男手を失つたため次夫をその家業に使役する有様であつたところ、昭和三十年一月○○日に同人が同家商用に従事して草津に赴いた際貧血症により草津駅で卒倒したことがあつたのを事件本人は癲癇症の持病ありと錯覚しそのため離婚を決意したものの如く、当時姙娠中の身であつたが秘かにその中絶手術を受けて実家に復したため、これに対し次夫も憤激して離婚を決心し双方協議離婚手続のため届書に調印し、相手方に対する荷物引渡も完了の上、届出手続に及ぶまでに至つたところ親戚にあたる村川国三が届書を預り届出を保留していた間に同年五月○日次夫は東海道線安土トンネルの修復作業に従事中列車に刎ねられて不慮の死をとげたため右協議離婚手続は未了に終つた。右次夫の死亡と共に申立人はその長女の婚嫁先に当る甲賀郡○○町山本仙一方に未成年者の養育を託していたが約二ヶ月後事件本人より未成年者の引取方要求があつたので、未成年者を連戻して事件本人に養育を委ねたところ同人は未成年者に食物を与えないことが屡にあり虐待するため未成年者は申立人方に逃げ帰ることが多くついに昭和三十二年一月以降は申立人において未成年者の養育に当つている状態である。事件本人は右未成年者引取の後である昭和三十年八月○日に八日市労働基準監督署より次夫死亡による遺族補償金三十五万円を受領しながら、これを申立人に秘して着服したが同受領について同人はあらかじめ申立人に対して同年五月○○日に右補償金は未成年者に贈与する旨の書面を、同年七月○日に未成年者の養育の全責任を負う旨の書面をそれぞれ差入れていたにかかわらず右のようにほしいままに補償金を受領した後、未成年者を虐待して、その養育を顧みないことは事件本人において未年者を養育する真意はなく、補償金入手の手段として未成年者の引取を申出たことを推認せしめるものである。その後昭和三十三年四月未成年者の幼稚園入園に際しても事件本人は手続書類に調印を拒否し調印を条件に財産の分与方を申立人に対し要求したので、やむなく申立人が入園手続を了し通園せしめた。なお、事件本人は前記受領の補償金を投じて家屋を新築し再婚準備をしつつあることによつても未成年者を養育する意思のないことが明らかである。以上の事実は事件本人が親権を濫用し且つ著しい不行跡の場合に該当するから同人をして未成年者に対する親権を行わしむることは不適当であるというのである。

そこで調査したところ次のとおりの事実関が認められる。

事件本人は申立人の二男次夫と昭和二十六年十二月に挙式結婚して翌年二月○日に婚姻届出をし同年九月○○日夫婦間に未成年者が出生したが、次夫が昭和三十年五月○日に死亡したので、事件本人は未成年者の単独親権者となつた。申立人方家庭は農家(耕作地九反五畝)で申立人夫婦の他に三男治郎(右次夫の弟で主として農業に従事)及び未成年者が同居し、事件本人方家庭は申立人方と同部落内で近隣にあり、事件本人の実父中村久三の生前中(同人は昭和二十七年八月死亡)より家畜商のかたわら農業(耕作地約六反)を営んでおり事件本人の他に実母きい、実姉くにとその子公平(本件未成年者と同年)が居住し、主として実母及び実姉が家畜商、事件本人が農業にそれぞれ従事して生活している。ところで事件本人は前記次夫との結婚後申立人方に同居し、その実父の死亡後は実家に男手を失つたため次夫と共に実家家業の手伝いをすることが多かつたが、昭和三十年一月中に次夫が仕事先で卒倒気絶したことや、事件本人が次夫の同意なくして姙娠中絶したことなどの原因が重なつて夫婦関係に破綻を来し協議離婚することとなり事件本人は実家に復して荷物を引取り未成年者の親権者を次夫と定めて離婚届出手続におよぶまでに至つたが届書の不備のため、手続未了に終つたところその後親族の斡旋により一時同居を見たこともあつたが結局和合し得ず同年四月下旬頃から事件本人が実家に戻つたので、再度の離婚届出手続を準備中の同年五月○日次夫は東海道線安土トンネルの修復作業場で列車事故のため不慮の死をとげるに至つた。その後申立人は未成年者の養育を長女の婚嫁先である甲賀郡○○町山本仙一方に委ねていたが次夫死亡による遺族補償金の下付に関連し事件本人より申立人に対し未成年者引取り方申出があり双方話合の結果、右補償金は未成年者の将来の養育のために双方が管理に当り協議の上支出するものとすること、事件本人が未成年者を引取るについては申立人に対する財産上の要求はせず、事件本人の責任において養育することの約定が交され同年七月初頃から事件本人が実家に未成年者を引取り養育していたが、同年八月○日事件本人は所轄労働基準監督署より右補償金三十五万円を受領した後、約旨に反しその後昭和三十三年三月頃までの間に一方的に費消し同月未成年者は同居の従兄弟公平と共に保育園入園すべき年令に達したが事件本人は未成年者の入園手続を肯ぜず右公平のみ入園する結果となるので、申立人においてこれを見兼ねてその手続を了し以後未成年者は申立人方に引取られて通園し、昭和三十四年四月以降は地元の○○小学校に入学して現在に至つているものであり、未成年者の成育状況、性格については保育園在園当時においてその陰気な性格を指摘される点はあつたが、現段階において特記すべき問題点は見当らない。

以上の事実関係は記録添付の戸籍謄本、申立人提出に係る疏第一乃至第三号証当家庭裁判所調査官垣貫徹雄、同大辻昌各作成の調査報告書並びに村川国三、木原啓一郎(二回)、申立人(二回)及び事件本人に対する各審問の結果を綜合してこれを認めることができる。右認定に反する事件本人の供述部分は措信することができない。

申立人の主張する事件本人が未成年者に食事を与えず虐待したとの事実については右認定のように事件本人が未成年者入園手続を取らなかつたことや後述のように申立人方と事件本人の実方がかねてから反目対立し、事件本人の側においては未成年者が本田家の子であるとして申立人側の養育責任を過大に期待している点が見られることから或程度未成年者と従兄弟公平との間に差別待遇を与えたことは窮い得るが幼児間の喧嘩悪戯などのため未成年者が叱責懲戒されたことがあつたとしてもこれを以て虐待とするのは当らず、この点に関する申立人の供述(第一回)は措信し得ないし他に右主張のような虐待の事実を肯認するに足る充分な資料はない。次に事件本人が受領した補償金三十五万円については未成年者の相続分相当額の取得分を含むと認むべき同金員を事件本人が右認定の如く申立人との間の約旨の管理方法に違背して費消したことは後記の如き事件本人の供述が真実であるとしても財産管理者としての慎重さを欠き無計画であつたものといわねばならないし、右金員費消後未成年者の養育を申立人に委ねてたことは結果的に見て事件本人が補償金目当てに未成年者を引取つたものとして非難されるのもやむを得ないところであるが進んでその使途については事件本人が亡夫の借財返済や未成年者との同居中の生活費に充当した旨供述する点は同人の家庭が部落内ではむしろ高位の経済生活を維持していることが前記関係人に対する審問の結果により認められるに照して疑なきを得ないが申立人主張のように家屋新築に投入したものと断定し得る根拠もないのでこの点の申立人の主張は採ることができない。

ところで前記資料によると申立人は次夫死亡前より事件本人との夫婦関係が破綻していたこと、次夫の葬儀にも事件本人が姿を見せなかつたこと、遺族補償金を事件本人が一方的に費消したことなどの事情が原因してかねてから事件本人に対する不信感が抜き難く他方事件本人は夫の死亡後未成年者の養育については当然申立人が経済面において配慮すべきものとして財産の一部分配を強く期待し双方家風の相違もあつて申立人方と事件本人の実方とは鋭く反目対立し、未成年者は両者対立の犠牲となつている面のあることを看取し得る現状であることが認められ、且つ事件本人の家庭は家政の実権がその実母、実姉に握られており同人等の申立人側に対する悪感情が未成年者に対しても反映影響することを慮り家庭内において従属的地位にある事件本人としては未成年者を手許に引取つても厚遇を与え得ないことを惧れている点が推測し得ぬこともないが既に見た如く事件本人は農業に従事して家業に貢献し、その家庭は比較的裕福な生活を営んでいること及び過去において一定期間未成年者と同居し養育に当つてきた実績に徴しても事件本人が一段の熱意を以て未成年者の養育につき実母等の理解協力を得るに努めさえすれば敢えて申立人の側より物質的援助をまつまでもなく他に別段の支障なく未成年者を養育監護するに足る充分な環境、能力を具えているものであることは明らかである。その点につき事件本人は現状においても未成年者の養育を全く顧みないわけではなく、随時小遣菓子類を与えている上、将来経済的条件さえ具われば未成年者を手許に引取り生活したい旨弁明するのであるが、同人の完全な親権の行使を妨げている真因は外部的障害にあるのではなく養育の熱意と努力の不足する同人自身にあるというも過言ではないのであつて同人の右弁明は親権者としての責務の重大性を自覚することなくかえつてその責任の大半を申立人側に転嫁している態度に由来しているものと認むべきである。いうまでもなく一般的に親権(特に幼児に対するそれ)は未成年者に対する積極的な保護育成義務を内容とするものであるから本件において前段認定の如く事件本人が昭和三十三年三月より今日まで長期間に亘り未成年者に対する実質上の養育責任を申立人に委ね自己の責任を放擲して親権不行使の状態を継続している如きはこれにより未成年者の福祉を害すること著しいものがあるとすべく親権の消極的な濫用に当るものと認めるのが相当であるから右の事由の解消に至るまで事件本人の親権を喪失せしめることも止むを得ないといわなければならない。結局本件申立はこの点において理由があることとなるのでこれを認容して主文のとおり審判する。

(家事審判官 土屋連秀)

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